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今際の際に残す言葉とは

お久しぶりです。

 

遡れば、2015年の12月から更新してなかったんだね・・・

もう1年弱になりますね。

 

2016年は、仕事の面で非常に実りの多い1年だった。

一緒に働く人はいい人ばかりだし、やっていることが誰かの役に立っていることを実感できる仕事内容で、個人的にやりがいもあり、自分なりに順調な1年だったように思える。

 

そんな去年の11月、

親父のがんが再発したことがわかった。

 

すでに2015年の段階で中咽頭がんを患っていたが、

そのがんがリンパ、甲状腺、腰、肺と全身に転移していた。

その時点での予後(余命)が6ヶ月。

そう、去年の11月に下された診断によれば、

今年の4月がデッドラインだったのだ。

 

今年に入り、一度今後のことについて話し合うため、

実家に帰省した。

入院していた親父は、

痩せこけていて、歩くことはできるものの、痛み止めで使っている薬のせいか、環境の変化による混乱のせいか、認知能力が著しく低下していて、どう、声をかけて良いものかわからなかった。

その時は確かに脈絡がなくなることがあったけれども、しっかりと話をすることができた。

帰京の日、ぼくに「グッドラック。」と言ってくれた。

あのときはまだ、言葉に、親父の意思というか人格があった。

 

3月上旬、お袋より突然の電話。

親父の心肺停止と、最期の決断をどうするか。

医師によれば、ここ1日2日が峠、もっても1週間とのこと。

この知らせを聞いてもまだ、私は比較的ドライに考えていて、

東京での仕事が立て込んでいるのもあり、どうしたものかと考えたが、

関係各所、皆様のフォローをいただいて、急遽帰省することにした。

 

急行した病院に、心肺蘇生を施され一命を取り留めた父がいた。

そこには親父としての人格はなく、様々な管につながれた意思のないヒトがいた。

肺は片側に水がたまり、片肺でしか呼吸ができず、喉元を切開して気道を確保しているため、声を出すことはおろか、痰も満足に出せていない。

着いてもしばらく、絶句してしまった。

親父の容態を聞いていたが、現実のこととして受け入れられるものではなかった。

こんなにも早く、末期がん患者の家族になるとは思っていなかった。

それからの父の看病は、壮絶なものだった。

 

鎮静剤を打っていても、痛みが引くわけではないから、寝返りをうつだけで

がん特有の疼痛で顔をしかめる。

声を上げることもできない。

鎮静剤による睡眠、痛みによる覚醒、置き場のない痛み、だるさから逃れようと体を

起こそうとする、押さえつける、薬が効いて寝る。

その繰り返しだった。

僕たちは泣きそうになりながら、「ごめん、ごめんね」と言いながら、

親父の体を押さえつけるほかなかった。

がんという悪魔の病気に対して為す術がなにもないということを実感した期間だった。

 

医師がもって1週間と言ったものの、緩やかに弱りながらも、

父は今もなんとか必至に命を繋いでいた。

病院での滞在が2週間にもなろうかとしていたころ、

私は今後の仕事のこともあるので、一旦帰京することを決意した。

父の死に目には立ち会えない、その覚悟をもって。

 

3月21日、病院を離れるとき、

親父が心肺停止に陥る前に走り書きしたノートが出てきた。

そこには、

「もっと生きたい」

「話したいことがありすぎます」

「もっとTrip(旅)がしたい」

書いてあった。

 

もっと話せるときに、欲を出してほしかった。

と僕は心から思った。

 

親父は心肺停止から奇跡の蘇生を果たし、

余命1週間と言われながらすでに3週間経とうとしている。

3度目の正直、とは思わないが、

もう一度、奇跡が起こってほしい。

 

親孝行もまだできていない。

いや、今仕事を淡々と順調にこなすことが一番の親孝行かもしれない。

 

次会うときは、どちらが、先だろうか?

どっちが、先だろうか…?